Life is like a garden

Perfect moments can be had, but not preserved, except in memory.

早見和真『八月の母』(KADOKAWA)の書評

図書新聞」No.3549 ・ 2022年07月02日(土)に、早見和真『八月の母』(KADOKAWA)の書評が掲載されました。
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
図書新聞」編集部の許可を得て、書評を投稿します。
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評者◆古森科子
母親とは、母性とは何なのか――八月の闇から逃れようとする娘たちは光を見い出すことができるのか
八月の母
早見和真
ADOKAWA
No.3549 ・ 2022年07月02日
■「あれって何なんやろうね。親と子って……、というか母と娘って、業なのかな」
 穏やかな瀬戸内海の水面を見つめながら呟くエリカの台詞は、母親の呪縛に囚われた彼女の悲痛なブルースのようにも聞こえる。
 物語は、東京三鷹のマンションで夫・健次と五歳の息子・一翔と暮らす主人公が、出産を機に過去に呼び戻される場面で幕を開ける。〈八月は母の匂いがする。八月は、血の匂いがする〉。封じ込めていたはずの過去が、思い出したくない母の記憶がよみがえる。地元の愛媛には絶対に帰らない。そう決めていたにもかかわらず、六年ぶりに再会した地元新聞社の元記者、上原浩介に説得されて決意が揺らぎだす。そうした揺らぎと前後して、愛媛を舞台とした越智美智子、エリカ、その子供たちの生い立ちが語られ、二〇一三年八月にエリカらが住む伊予市の市営団地で起きた残忍な事件へと突き進む。
 愛媛県宇和島市に住む越智美智子の母は、長年夫に服従し、自分を殺して生きてきたが、夫の死を境に身勝手な男たちに翻弄されるようになり、娘・美智子の人生をも狂わせていく。中学生のとき義父に犯されて以来、美智子はすり寄る男たちに身を委ねながらも、母の轍は踏むまいと心に誓う。一九七七年八月十五日、エリカを産んだ美智子は自分に言い聞かせる。〈これからは二人で生きていくのだ、男でもなく、金でもない。私がエリカを幸せにしてみせる〉。だがその誓いもむなしく、娘に容赦ない言葉を浴びせ、支配するようになる。
 母娘に焦点を当てた小説はあまたあるが、なかでも、母親の押しつけるいびつな関係から娘が抜け出せないさまは下田治美『愛を乞うひと』を、母性をめぐる対話は角田光代『八日目の蝉』を連想させる。血を分けた母娘と、分けない母娘。血とはいったい何なのか。そう考えたとき、プロローグで綴られた〈八月は、血の匂いがする〉の「血」は二つの意味を帯びてくる。どこまでも追いかけてくる血縁という血と、その束縛から逃げようと抗いほとばしる血。
 著者の早見和真は、デビュー作『ひゃくはち』では甲子園を目指す名門高校球児のあけすけな青春を、日本推理作家協会賞を受賞した『イノセント・デイズ』では死刑を宣告された女性の底知れぬ孤独を描き、前作の『店長がバカすぎて』では出来の悪い店長に振り回される女性店員の苦悩を綴るなど、じつに多彩な切り口で多くの読者を惹きつけてきた。二〇一六年に家族と移り住んだ愛媛で執筆された本作品は、同じく愛媛を舞台とした創作童話『かなしきデブ猫ちゃん』シリーズがまばゆい光を放つほどに、その闇がいっそう際立つ。
 この世に生を享けた日から、母親に振り回され、無責任な男たちに愚弄され、自分に手を差し伸べた男たちにことごとく裏切られてきたエリカ。自らも母となり、行き場のない子供たちを自宅に招き入れ、誰でも温かく迎えることで、心地よい自分の城を築いていく。エリカの長男・麗央と付き合う紘子も、そんなエリカを慕って住みつくようになるが、その城も、未成年たちのヒエラルキーに生じたわずかな歪みから、底なしの蟻地獄と化していく。そんな環境で懸命に生きるエリカの末子・陽向のひたむきさに心を打たれた紘子は、陽向の力になろうと麗央と別れた後もとどまり、秩序の失われた無法地帯から陽向を救い出そうとするが、正気を失ったエリカが家に寄りつかなくなるにつれて、事態は悪化の一途をたどる。紘子が監禁され、身動きがとれなくなる終盤など残忍酷薄な行為に何度も本を閉じたくなった(だが、そうさせぬよう、あえて「主人公」の名が明かされぬまま物語が進むため、ページを繰らずにはいられない)。
 母親とは何なのか。母娘とは。母性とは。そうした問いに真っ向から向き合った本作品は、最後に主人公が下した決断により、新たな局面を迎えて幕を閉じる。救いようのない負の連鎖。どこまでも追いかけてくる母という呪縛。たえず絶望感に襲われるが、どれだけ消えそうになっても、決して希望の灯を絶やしてはならないことを本書は教えてくれる。
(翻訳者)
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『店長がバカすぎて』という、2020年本屋大賞ノミネート作品の斬新なタイトルと各方面の高評価にひかれ、気になりつつも未読であった早見和真氏の作品をこのような形で読む機会に恵まれ、ワクワクして開いたのもつかの間、これは一筋縄ではいかない作品だということが1ページ目から伝わってきました。
母娘三代に渡るこの物語は、これでもかというほどの凄惨さ無慈悲さに、読み進めるのが辛くなるにもかかわらず、彼女たちの行く末を知りたくて頁を繰らずにはいられないという、最初から最後まで「読みたい」と「読みたくない」が拮抗する読書体験でした。
興味深いのは、母娘の物語を男性作家である著者が書いたという点です。本書に登場する男性たちの卑怯で身勝手で非情な側面を余すところなく書き連ねることができたのは、男性作家だからこそであり、その醜悪さと理不尽さゆえに本書に登場する女性たちのやるせなさが一層切々と伝わってきて、様々な感情が掻き立てられました。
また、全編を貫く不気味なまでの父親の不在(あるいは存在の薄さ)により、かえって母親の存在が浮き彫りになっており、あまりにも多くの人にとっての共通項でありながら、一人ひとりが異なる思いを寄せる母親という存在について、母性とは何かについて、考えさせられます。多くの人にぜひ手に取っていただきたい作品です。
読了後、この物語が実話に基づくことを知り、その報道に目を通すことによって、事実と小説のはざまで著者がこの物語に託そうとした思いが伝わってくるような気がしました。興味のある方はぜひ本書と合わせて目を通して頂けたらと思います。