朝ドラで大切なモチーフになっているルイ・アームストロング。
私にとって思い出深い彼の曲は、「この素晴らしき世界」だ。
高2のとき交換留学生としてアメリカに1年間留学した。
小4でローマ字に出合ったときからずっと英語が好きで、
小5のときに親に頼んで公文式教室の英語の勉強を始めた。
(当時地元で英語を学べるのが公文くらいしかなかった)
中学入学後は海外のペンパルたちとやりとりをしながら、
朝日Weeklyの記事を切り抜いてノートに貼り、記事の翻訳
のようなことをしながら、海外ミュージシャンの曲を聴く…
という生活を送っていたので、海外留学は長年の憧れだった。
とはいえ、まったく話す練習をしておらず、留学前の1年間
通った英会話教室では、日本人の先生と、南部訛りの強い先生
(firstをフースト、thousandをターズンと発音する先生だった)
に習い不安を抱えたまま渡米。案の定、最初はとても苦労した。
あるとき、ホストファーザーに銀行に連れて行ってもらった。
留学先は村といってもいいくらいの小規模なコミュニティで、
病院も銀行も映画館も美容院もなく、ファーザーの経営する
店が唯一のグローサリーストアだった。彼が運転する仕事用
のピックアップトラックの助手席に座ったときに「わー!!
運転席側に座ってる!」と興奮したことを覚えているので、
ほんとうに渡米してまもないころだったのだろう。
銀行までの道のりは長いが、まだ会話には自信がなく、
かといってマザーやシスターとはちがい、向こうから
ゆっくり、優しく話しかけてくれるわけでもない。
私も困ったが向こうも同じくらい困っていたと思う。
カーラジオからは、いろいろな音楽が流れていた。
そのとき、ふと聞き覚えのある音楽がかかったので、
おもわず"I know this song!"と口にしたらファーザーが
ラジオのボリュームをいっぱいにしてくれた。
それがルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」だった。
いまでもこの曲を聴くと、あの静かな車内を優しく包み込むように
広がっていった彼の曲と、双方が感じたであろう安堵を思い出す。