久しぶりにパン屋さんへ行った。土日の朝に行くと、
いつもすでに5、6人はいるのだが、祝日だったからか、
10時過ぎと遅かったからか、今日は誰もいなかった。
焼きたてのパンを選んでいたら、あんドーナツが
目に入った。あんこが苦手なので自分では買わないが、
あんドーナツを見ると高校時代の親友の言葉が浮かぶ。
「うちのお母さん、あんドーナツが好きなんだよね。
ドーナツだけでもくどいのに、さらにあんこだよ」と。
その言葉は、脳内でちゃんと彼女の声で再現される。
20くらいのころ、祖父が録音した祖母の声を聞かせてもらった
ことがある。70歳過ぎに当時60半ばだった祖母を亡くした祖父は、
祖母が亡くなる前にその声を録音していた。病院に入院していて、
誰かと電話で話している声だ。聞いたのは亡くなった数年後で、
聞いたときには「あ、おばあちゃんの声だ、懐かしい」としか
思わなかったが、月日を経て思うのは、祖母の声を録音したときの
祖父の心情だ。治らぬ病だったので、録音したときには、
もう祖母の声が聴けなくなることがわかっていたのだろう。
当時はホームビデオもあまり普及しておらず、祖父なりに、
写真以外の形でなんとか祖母を残したかったのだと思う。
あれから35年、祖母の声をあまりよく思い出せなくなっている。
17年ほど前に亡くなった祖父の声ははっきりと思い出せるのに。
13年前に亡くなった高校時代の親友の声もちゃんと思い出せる。
声の記憶というのは、どれほど続くものなのだろう。