昨日は栗ご飯と栗の渋皮煮を作る。渋皮煮は予定外で、
渋皮をむくのに心が折れてできたスピンオフ。初挑戦。
昨日は、2週間前ほど前に悩んでいた今の勉強法が、
あ、これでいいんだと納得できた日。たまたまかも
しれない。今日はうまくいくかどうかわからない。
それでもこの感覚を忘れず大切にしたいと思った。
ブログで翻訳のことを綴っていきたいと思いながら、
いざとなると、なかなかうまく書けないことが多い。
自分にとって良かったものが他者にも良いとは限らない。
自分にとって良かったことが他者も役立つとは限らない。
ある意味、育児と似ている部分があるのかも、と思う。
こうすれば絶対にうまくいきますという育児法はない。
どうすればその子の良さを最大限引き出せるかを考え、
自分の考えを押しつけることなく、個性を尊重しつつ、
ほどよい距離を保ちながら、ひとりひとりに合わせて
丁寧に向き合う。同じことが別の子では通用しない。
(これらも私の考えで、それは違うと言う人も当然いるだろう。)
育児に正解はないというが、翻訳にしても絶対的な
正解があるわけではなく、同じ文章を訳させると、
10人がみな違う訳をしてどれも正しかったりする。
ただし、正しいことが正解とは限らないという点も
育児と共通している気がする。なかなか興味深い。