彼の音楽がとくに好きだったというわけではないが、
坂本龍一さんのエピソードで忘れられないものがある。
新聞のコラム欄か何かに坂本龍一さんのニューヨークへの
移住にまつわる話が掲載されていて、そのなかの一節に、
ニューヨークに来てすぐの頃、「日本と比べて不便なことが
多くて苦労した。水道の具合が悪くて電話をかけてもすぐに
業者が来ないし……」といった趣旨のことが述べられたあと、
「でも慣れてくると、逆に日本の生活を振り返ったときに
そこまで便利である必要があるのか、と思うようになった」
といった内容だった。
30年以上前に読んだ新聞の記憶なので、多少言い回しは
異なるかもかもしれないが、坂本さんの最後の部分の感想、
「そこまで便利である必要があるのか」という言葉が、
どういうわけか心に残り、ことあるごとによみがえった。
それは、些細なところでは、納豆のタレにまでどこからも
切れるマジックカットが採用されているのを見たときや、
欧米の一部の国でエレベーターの「閉」ボタンがないのは
そこまで急ぐ必要がないからとか、日本ではスーパーなど
でセルフレジ化が進んでいるが、オランダ等のスーパーでは
レジの店員と話したい客のための特別なレーンがあって、
そのレーンだけは客と店員がゆっくり会話が楽しめるとか。
ふとした拍子に、あの30年以上前に目にした坂本龍一さんの、
そこまで便利である必要があるのか、という言葉がこだまする。
それは、便利さや効率と引き換えに私たちは本当に大切なものを
失っているのではないか、というメッセージのようにも聞こえる。
これからもこのメッセージが私の心から消えることはないだろう。
R.I.P